中庸さで損する人、得する人

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※あくまで自分への戒めのつもりで書きます

こんばんは!

何日間かブログもツイッターも出来なかった僕(@TakayaSakamoto)です。

とりあえず今日からまたブログを毎日書くのを再開させます。

非常事態が起こったら、またストップしなくちゃですけどね(^_^.)

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中庸さとは

突然なんですけど、皆さんは中庸さという考えを知っていますか?

中庸さとはかんたんに言ってしまえば

最も常識的で、最も穏健な意見に従う事で、世間との争いを回避したり、荒波の無い生活を送りやすくする生きる知恵みたいなもののこと。

この言葉を知った時には、何ていい考えなんだって思いましたよ笑

でも、自分がかなりエネルギッシュになっている時は、中庸さなんてクソだ!なんでも全力がカッコいい!なんて思ったりもしちゃうんですよね汗、自分の場合。

で、たまたま実家に帰省した時にふと自分の本棚の『アイデアのつくり方』を手に取ってみたら、中庸さについての事が竹内均氏の解説のページにわかりやすく書いてあったんですよ。

なのでこれから先「何でも全力で!」みたいな自分が現れた時は、この記事を読み直すことで、その自分を戒めていきたい。

以下に、竹内均さんの『アイデアのつくり方』より

中庸についての文章を大事な所だけ抜いて引用します。

中庸を中年のずるい処世術と考えていた若いころの私には、そこのところがいまひとつ理解できなかった。

中庸が美徳であることをはっきりと私に教えてくれたのは、くりかえし述べたデカルトの「方法序説」である。

デカルトによれば、人々はそれぞれの人生の大目標を持っておりその実現に全力をそそいでいる。

しかしその一方で、人々は日常的な生活を生きなければならない。

この場合に、その日常的なことがらの一つ一つについて熟考するのは面倒な事であり、頭脳と時間の浪費である。

…中略…

どうでもよいことについては中庸の道を選ぶことによって、われわれは自分自身の人生の大目標に全力を集中しえる。

このように考えると、中庸はいいかげんな人生を生きる中年の処世術といったものではなくて、積極的な徳目である。

ーアイデアのつくり方 P80より引用

注)この引用の前には、パレートの法則(80対20の法則)についての記述がある。

見事にわかりやすく本質をついている文章だと思う。

(この文章を読んで竹下登元総理も大変感心したらしい…)

80%のどうでもいいことに熟考することは面倒で非効率、もっと言えば、80%のどうでもいい人間、嫌な奴について考えることによって、本当に大切な20%の事や人を見失ってしまう。

思い出してみれば、仕事とかでどうでもいい些細なことに悩んで仕事後も悩んで時間を無駄にしてた事なんてしょっちゅうあったし、本当に時間の浪費だったよ汗

で、なんで自分がここまで改めて中庸の意識づけをしたいかと考えているのかっていう事を次に書きますね。

(本音を言えば、自分がスーパーマンとかゲバラだったら、何事も全力で取り組みたい…)

 

若いころと比べて自由な時間が減ったし、体力も落ちた

これなんですよ。

まだ20代ですけど笑

自分の例でいえば、すぐ腰痛にはなるし、走るとすぐ息切れするじゃないですか!どうなってるんですかね笑?

大学生の時なんて自由な時間しかなかったのに、今はどうしても働く時間とか色々含めて10時間くらいは自由に使える時間にはならないですからね、一日の内で。

そして、今後自分の健康が良い状態がいつまで続くか本当にわからないのも怖い。

 

だからこそ…

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20%の大切な事には、しっかりと余力を残して、全身全霊で取り組みたい。

どうでもいいことには、最も常識的で最も穏健的な意見に従うという中庸の道を選ぶことで、自分にとって本当に大切な20%の事や目標に取り組むことを意識づけする。

後者の自分へ

浪費はやめよう。本当に大切な事を見る意識づけをしよう。

あとは、『何が大事か?』を見抜くことだけ