『買った』ではなく、『お迎えする』という表現の美しさについて

だんだんと寒くなってきて、着るものに困っているぼく(@TakayaSakamoto)です。

ホント寒いですよね笑

先日、こんな記事を書きました↓

新しく我が家にお迎えしたコリさんがかっこかわいい

 

この記事でぼくは、ぬいぐるみを『お迎えする。』という表現を使っています。

『買う』でも『ユーフォ―キャッチャーでとってくる』でもなく、『お迎えする』です。

自画自賛したいわけではないですが、この表現が本当に好きだし、美しいなと思ってます。

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ただここで、ハテ?と思うわけです…

『この表現、俺から出てきたものじゃない!』と笑。

この表現、ぼくが作ったわけではありません、確実に笑。

昔の記憶を辿りながら、どこでこの表現と出会って、誰が使った表現なんだろう…?と考えました。

そして気付きました。

自分の場合はおそらく、ツイッターを始めた初期の頃に知り合ったakiさんか、もしくはK-LITEさんのツイートです。

こんな感じのツイートですね↓


https://twitter.com/w_wonderfulbird/status/652805288400060416

 

このお二人だけでなく、私のフォロワーさんは『お迎えする』という表現を使っている傾向が強いように感じます。

 

お迎えするという言葉がなぜ美しいのか?

自分なりに『お迎えする』という表現がなぜ美しいか?を考えてみました。

そして、『お迎えする』にあって、『購入する・買う』にないものに気付きました。

それは…

ぬいぐるみや商品に対しての責任の有無です。

これがあるから、この表現がこんなにも美しく輝くのだろうなと僕は思います。

 

通常、『購入した・買った』と言う時、そこに商品に対しての責任は発生しません。自腹で買ったのだから、捨ててもいいし、売ってもいいし自由なわけです。(言葉は悪いですが笑)

しかし、『お迎えする』という表現には必ず、その言った人の商品に対しての責任が含まれています。

でもそれはいったい、何の責任でしょうか…?

 

ぼくが思うにそれは、『自分がそのぬいぐるみを選び、その商品を今後もかわいがること、他の人のところに行った同じぬいぐるみよりも居心地の良い環境を与え、かつ、大切に扱っていきますよ』という意思表現であり、責任です。

こういった思いと責任が、心の深い所で無意識に根付いているため、それが『お迎えする』という表現になって出てきたのだと僕は思います。

 

ぬいぐるみはしょせん、ぬいぐるみだけど…

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ぬいぐるみはしょせん、ぬいぐるみです。

ただ、リラックマストア等で真剣に選んで購入し、リラックマファンのぼくにとってはそれだけじゃないよなって思っちゃうんですよね。

(ぼくの場合、リラックマの記事が多いから、お世話になるっていう表現がピッタリかも汗)

ぼく自身、今後とも『お迎えする』という表現にふさわしい扱いを商品に対して行っていきたいです。

それに加えて、いっしょがいいねの企画で、それぞれのぬいぐるみが持つ魅力なんかを引き出してあげたい!

ホント、最初にお迎えするって言った人すごいな…と、今日は改めて思いました。

そんな感じで今後もやっていきますので、今後ともよろしくお願いしますよ、ぼくのグッズ達!

ではまた